※「スレッド」のほうが響きがいいだけであり、ただのブログ記事です。
「覚えていてもらうためには、作り続けなくちゃいけない」
これの言ってることは何となくわかるし、社会的には事実なんだろうなと思う。
一昔前の感覚で言うなら「更新の止まったHPはチェックする人がいなくなる」という感じか。
そうなんだろうなと思う。
が、心のどっかに、いつも謎の疑問符がつきまとう。
『なぜ、作る必要性がないのに作り続けなくちゃならんのだろう』
いや、「必要性がない」という表現はおかしいんだよね。「作りたい」んだし。
何を言ってるのかわかりませんか?私もわかりません。
そこで、説明するために図を作ってみた。
私の場合おそらく、この赤と青の2種類の動機が ほぼ同時に 重なったときしか、
「電波」は降りてきません。(「同時」ってあんまりないんすよたぶん)
なんとなくこの「電波」を受信するアンテナの存在はずっと意識してたけれど
ぼやっと図に表したのは今回が初めてです。伝わるんか?
片方ずつなら、わりと常に持ち合わせてたりしますよね。
- パターン1.曲の題材になるストレスはあるが、環境・時間または集中力がない
- パターン2.曲の題材が存在しない(または他で相殺されている)が、物理的に曲は作りたい
「作れない」って言ってる期間はこれのどちらかです。
一応、「電波」が無くても、PCに向かってシーケンサ開けば曲そのものは作れるのですが
そういうときの曲は「なんかしっくりこない」「なんか違う」という気分になってしまい
早い段階でファイルが停滞したりボツにするばかりで表に出てきておりません。
チャレンジした中で1曲だけは、某方のコンピアルバムに収録されたこともあるのですが
「自分では好きだと感じていない曲を人前に出した」というジレンマが凄かったです。
たとえるなら、『誰かの作り話を、さも私が言ったことのように発表しなきゃ』みたいな。
作ってる段階で自分の気持ちにウソついてる音になってしまい、それを自覚した瞬間やる気がなくなる。
仕事できないですねこういう人は。仕事できないです。(圧倒的事実
なお、この「紫色のスペース」に高頻度でアクセスしていた時期が
2003年~2013年ぐらいまでの10年間ほど存在しますが、
皮肉にもそのとき私は不登校とかニートとか負の歴史を構築していました。
(しかもしばらくの間、ネットの知り合いには「普通の人のフリ」して過ごしてたので
それの罪悪感も加味されてゆくのですよ。)
精神的に負の歴史を構築しつつも、学校も仕事も行けてなければまぁ
そりゃ曲作る時間腐るほどあっただろうねとしか言えないよね。
いつ寝ていつ起きていつ作ってもいいんだし体調も関係ない。
クオリティとかは当時から考慮してなかったので、アウトプットだけはできたんすね。
しかしまたあの状態に戻りたいかと言われると、かなり嫌です。
別の方法で何とかしたい。
なんのオチもないです。言い訳するだけのページなので。。。ω。
ただこの電波云々は「打ち込みの曲」だけに限定されているので
即興演奏であれば、ほとんど障壁なく弾ける気がします。(仕組みは不明。
「録音してPCに取り込んで編集するのがめんどくさい」気分が発生しなければいつでも可能。
なのにやらないのかー。やばいなー(他人事
全力で非DTMerするスレッド
あと この前のオフというかイベントをしたときに、「DTMする人」という
呼ばれ方には非常に違和感があったりなかったりした、、、?
ストレートに「DTMerですか?」って聞かれたら「いいえ、違います」って答えちゃうかもしれん)
私の中でDTMerというのは「DAWを使う人」「サウンドを作る人」という認識だから。
自分は「DAWを使ったことない人」であり「プリセットをブーブー鳴らすだけで事足りる人」なので
DTMerを名乗れるとはとても思えん。曲の譜面をmidデータに残すという意味で
「作曲する人」って言えるのであればそうでありたいけども、なんか色々微妙です。
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